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武蔵小山のフリウリ「レオンビアンコ」の歴史

武蔵小山のフリウリ「レオンビアンコ」の歴史

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1900年代初頭のレオンビアンコ


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2016年上の写真と同じ角度で撮影

 産業革命の波が打ち寄せ、社会が大きく変革した1900 年ころのイタリア。

ワインづくりや養蚕の拠点として、フリウリ=ヴェネチア・ジュリア州のコル
モンスは繁栄の絶頂期を迎えていました。

ルノアールの絵画に描かれた人々のように、ドレスを着た豪華な装いの人々が行き交う大通りで、レオンビアンコは街でも有数の規模を誇るホテルとして開業します。

メインエントランスの他に、広い中庭に続く馬車口を備えた、3 階建ての大きなホテルでした。
コルモンスはまた、ヨーロッパの動乱の歴史とともに歩んだ軍事的要衝でした。第三次イタリア独立戦争の結果、ヴェネツィアやフリウリのイタリアへの帰属が認められましたが、その戦争はこの街で結ばれた休戦協定によって終結を迎えています。

大きな2つの対戦

やがて時代は二つの大戦へと向かうことになり、コルモンスの商業都市としての姿は、徐々に失われていきます。
盛んだった養蚕が、日本からの絹の流入や蚕の病気により衰退していく一方で、街には従軍した多くの若者が暮らし、街の様子は一変。

ムッソリーニもこのレオンビアンコの屋根に上り、双眼鏡を使ってスロベニアを視察したと伝えられています。
早くから電話を備えていたレオンビアンコには、故郷の家族や恋人と話そうと、若い兵士たちが次々にやってきます。

ホテルはやがてバーに姿を変え、彼らの間ではこんな言い回しが。
──「 さぁレオンビアンコに口を濯ぎにいこう。」

それは街へおいしいワインを飲みに行こう、という意味。日ごろの緊張から解き放たれようと集まる若者で、レオンビアンコは連夜の賑わいを見せました。

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 しかし二度の大戦を経て土地は荒れ果て、ワイン産業は壊滅。軍は近代化やユーゴスラビアの解体により、
かつてのような駐屯兵力を必要としなくなります。
さらには1970 年代までに、養蚕および製糸産業が蚕ウイルスの蔓延によって終焉。
コルモンスはその活力の多くを削がれることになりました。

100年の歴史に幕を閉じる

1999 年に幕を閉じるまで、4 世代にわたって受け継がれたレオンビアンコも、そうしたコルモンスの歩みと運命をともにしたのです。
それでも地域の人々の心に宿した思いは絶えることはありませんでした。地元のアマチュアサッカーリーグで強豪チームとして名を馳せ、30 年そのクラブの活動が続くチームも、レオンビアンコの名を冠しているほか、特に現在のコルモンス経済を牽引する世代の誰もが、青春時代を謳歌したバー・レオンビアンコでの思い出とともに生きています。

スローライフやアグリツーリズムの需要が高まりをみせる中、コルモンスは新しい世代が生み出すゆたかなワインとともに、その自然や食が、世界中から再び注目を浴び始めています。

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オリジナルのワインのエチケット(左)/クラブチームのロゴ(右)

時を経て東京に復活

 時を同じくして、レオンビアンコもこの東京で、ひと時の眠りから目覚めました。そして東京の多くのお客様に与えていただいた新しい活力を元手に、ついには、かつてコルモンスでも実際に振舞った数々のワインを東京にまで呼び寄せ、このブログを読んでくださったみなさまが主人公の、新しい物語へ踏み出そうと、大きくつま先を振り上げています。